名物営業マンの「元気と笑顔が出る!」ブログ

カタシモワイナリーの名物営業マン山本が、毎日みなさんに元気と笑顔をお届けします。

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山本、売れない芸人時代を語る

営業部の 元お笑い芸人 山本です。



過去の経験は無駄なものは一切ないと思っています。


今日は、今の僕の血となり肉となっている売れない芸人時代に経験した事をお話させて頂きます。



かなり熱く語っている為、かなりの長文になっています。



御手洗いを済ませてからお読み下さい。







今、僕は35歳ですが、29歳までお笑い芸人をしていました。(コンビ名は「5・7・5」芸名は「ちゃぁぼ」)



当時、舞台上での経験値を積む為に自主ライブをしていました。


ライブの名前は「SIMPLE」

若手4組で、ネタとトークのまさにシンプルなライブ。客席のキャパが30人くらいの三軒茶屋のライブハウスで月1回行われていました。



僕らは全然知名度がなく、そのライブに来るお客さんは毎回なんと3人くらい....。


演者は8人なんでお客さんより舞台上の演者の方が多いんです。



毎回そんな状況じゃ、さすがにライブとしては成立しない。
ライブ自体をやめる話も出始めました。


しかし僕らは

「今出来る事をとにかく何かしよう」


と考えました。そして渋谷のセンター街でチケット売り(略してチケ売り)を始める事にしました。




先陣を切って僕と一緒にチケ売りをしていたのは、ライブメンバーでペ・ヨンジュンのものまねをする「ぺよん潤」(今も現役で活躍中)事、増井さんでした。



チケ売りは通りかかる女子高生や若い女性に声をかけ(2、3人のグループが望ましい)、増井さんと二人で自分達のコンビやライブをアピールするんです。



だいたい20組の女子高生らに声をかけたら3組位は、立ち止まって話を聞いてくれましたね。
で、立ち止まって話を聞いてくれた3組のうちチケットを買ってくれる所までいけるのが1組って感じですね。
声をかけ、チケットを買ってくれるまでの時間は最低1時間はかかりました。

それをライブ1週間前から前日まで出来る限りしたわけです。



で、ライブ当日、いつもは3人だったお客さんが、なんと...





『30人!』

10倍の数!




ライブハウスぱんぱんで立ち見も出てました!


演者も最高にテンションが上がり、チケ売りを毎回する事になりました。




そのうち毎回来てくれる子も出始め、20人以上の数をキープ出来る様になり、2ヶ月後ライブの場所をもっと広い所に移しました。


広い場所になったらなったで30人でもお客さんが少なく感じるので、チケット売りもより頑張らなくてはいけません。


チケ売りは引き続き行いました。


売れてない芸人と言えど、ライブやオーディション、たまにテレビの仕事もありましたから、チケ売りばかりをしている訳にはいかないのですが、なんとか時間を作り、チケ売りを続けました。



その甲斐あって、徐々にお客さんがお客さんを呼び、50人、70人と来てくれるお客さんが増え始めました。スタッフも最初は一人だけでしたが、ひとりふたりと増え、5人くらいになりました。



そうなってくると「月1しかライブをしないのはもったいない」と、ライブをもうひとつ立ち上げる事にならました。

ライブ名は「SAMPLE」


「SIMPLE」はネタとトークのライブでしたので、「SAMPLE」はネタと企画のライブ(色んな企画を試す意味でサンプル)にしました。



ドンドン「SIMPLE」「SAMPLE」に思いが入って来たメンバーでしたが、終わりは急にやってきました。



4組の芸人のうち僕らと、もう1組のコンビは当時ケイダッシュステージという事務所でしたが、後の2組は別の事務所でした。



そこで事務所のマネージャーから
「自主ライブをするならケイダッシュの芸人だけでしろ」
との指示がきたのです。


突然の終わりにメンバーも愕然。しかし事務所の意向には逆らえず、「終わるなら華々しく終わろう」という事になりました。



最終回のライブ名を「SIMPLE×SAMPLE×FINAL」とし、いつもより1時間長い3時間のライブにしました。

いつもの企画に加え、オープニング映像とエンディング映像を制作し、4組の合同ダンスコントを作り、中MCにゲストを呼びと盛りだくさんのライブになりました。


そして何より来てくれたお客さんの数がなんと....




『150人!』

3人の頃からみると50倍!




もうひとつ付け加えるなら
3人のお客さんの頃からチケ売りを始めて、最終回を迎えた期間は、たったの半年なんです。



半年でお客さんの数が50倍になったんです。




ライブ終わりはメンバーもスタッフも号泣。



この「SIMPLE×SAMPLE×FINAL」のライブは映像に撮ってあったので、編集してもらいDVDに焼き、今でも僕の宝物になっています。




あの時ライブを辞める選択もありました。

しかし、出来る事から始めれば何かが変わる。
動けば何かが得られる。



とても貴重な体験が出来たし、その体験が今の仕事の原動にもなっています。




ちなみにこの後、ケイダッシュの芸人の僕らともう1組の2組に加え、新たに同じ事務所のメンバー1組が入り、3組で「ケルミナ」というライブを立ち上げました。




その新たに加わった1組というのが、今をときめく「オードリー」です。



長文にお付き合い頂きありがとうございました。

営業部山本でした。


ブログ毎日書いてます

営業部の 晴れ時々 山本です。



僕が、大阪に出てきたのは23歳の時でした。



今から13年前です。



当時、何気なく大好きな映画の「フォレストガンプ」を見ていました。



その映画を見終わった時です。



あの映画にアメリカを走って横断するシーンが出てくるのですが、それに触発されて、「走ろう」と思いました。



時間は朝の5時でした。



財布も携帯も何も持たずに走りはじめました。



当時、西成に住んでいたのですが、そこから南へ走り続けて行きました。



小さな目標を見つけながら。



あの電柱まで走ろう。




あの高架下まで走ろう。




あの自販機まで走ろう。



そんな感じで小さな目標をクリアし続けて1時間半走りました。




気付けば高石市にいました。



小さな目標をクリアしていたら、結構な所までたどり着いていたのです。



このブログを書き始め、1ヶ月が経ちました。



「毎日書く」という小さな自分ルールを決めて、書いています。



まずは1ヶ月クリアです。



1年続けたら自分にご褒美をあげたいです。



「小さな目標をクリアし続ける。」


毎日、それを繰り返していたら、気付いた時に大きな目標にたどり着いていた。



そうなれたら最高にいいですね。








ちなみに1時間半走って高石市にたどり着いていた僕は、財布も携帯も持ってない事に愕然としながら、歩いて帰りました。




4時間半かけて......。

その日の山本の走行距離、往復で30kmでした......。


営業部山本でした。

歩幅

営業部の ほっともっとずっと 山本です。




僕は7時前に出社する事がよくあります。



ワインの瓶詰めをする日はパートの方々が出勤してからすぐに作業が出来る様に、ワインの濾過をしなければいけません。



その濾過をする為に7時前に出社しています。



実はこの濾過作業がなかなか覚えられませんでした。



何度も何度も社長に頭をどつかれました。



何度も何度も社長に「帰れ」と言われました。



何度も何度も社長に「もうお前は来んでいい」と言われました。



何度も何度も社長に「どうやったら覚えられるんや」とあきれられました。





そうです!



僕は「あほ」なんです。



人が一回で「10」覚える事を僕は「1」しか覚えられないのです。



そして自分は「あほ」だと自覚しています。



だから「あほ」は「あほ」なりに、どうすれば覚えられるかを知っています。




人が一回で「10」覚える事を「1」しか覚えられないのならば、10回するまでです。



「あほ」の歩幅で進むまでです。




「10」でも「1」でも前進しています。



だから、社長に何を言われようが、濾過がある日は毎回来るようにしていました。



そのおかげで、今はなんとかやれています。



覚えるまでに1年かかりました(笑)



象の一歩もネズミの一歩も「前に進む一歩」です。



自分の歩幅で前に進めばいいんです。





ちなみに去年、醸造部に入った江本さん(♀)は、この濾過作業を1ヶ月で覚えました。


せめてもう少し大股で歩く様、心掛けよう....

営業部の山本でした。
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