名物営業マンの「元気と笑顔が出る!」ブログ

カタシモワイナリーの名物営業マン山本が、毎日みなさんに元気と笑顔をお届けします。

2012年02月

カタシモワイナリーホームページ→http://www.kashiwara-wine.com/

感謝の伝染

営業部の 水もしたたる 山本です。



「元気や笑顔は伝染します」



これは人間だけの事ではないのかもしれません。



植物に優しい言葉をかけ続けてあげると、その植物は生き生きするそうです。



コップに入った水に「ありがとう」等、良い言葉をかけ続けてあげると、その水の結晶はとても綺麗になるそうです。



植物や水にも、良い「氣」が流れるとその影響が出てくるのだそうです。






カタシモワイナリーの社長、高井利洋は事あるごとに口癖の様に「ありがたいわ~」「感謝せなあかんな~」「嬉しいなぁ~」と言っています。(河内弁で)



また、これはうちのスタッフもあまり知らない事ですが、社長は1日の始まりに、必ずしている習慣があります。それは事務所にある神棚の水をかえ、手を合わせてから仕事をする事です。



毎日必ず神様や先祖に感謝してから1日の仕事にとりかかっているのです。



「感謝する」という、良い「氣」は、間違いなくうちの商品にも、影響していると僕は思っています。



カタシモワイナリーのワインは、100年の歴史の中で培われたこだわりや醸造技術の上に「感謝」の「氣持ち」が含まれて出来ています。



きっとワインの結晶も綺麗な形をしているのでしょう。




バカがつく位、前向きな僕の「氣」もワインに良い結晶を作る役に立ててたらいいな、と思っています。




カタシモワイナリーのワインの裏ラベルに記載してある表示には「見えないけど」こう書かれています。



内容:葡萄品種名、酸化防止剤、感謝の気持ち



営業部山本でした。

ちょっとだけ暖かくなるかな

営業部の いつまでも 山本です。



昨日は寒かったですね。



大阪は朝から雪がちらついていましたよね。



そんな寒~い朝は、体も縮こまり、なんだか気分も上がらないものですね。



僕は昨日の様な寒い朝には、必ずしている事があります。



それは、



「明るいネクタイを身に付ける」です。



特にピンク色のネクタイが多いです。



外が寒いので、その日に会う人には、少しでも暖かいイメージを持ってもらおうと思ってのピンクネクタイです。



だから冬場は、ほぼ毎日ピンクネクタイをしています。



その為ピンクネクタイは、4種類持っています。



ピンクネクタイで、ちょっとだけ暖かさが伝われば、寒い日でもちょっとだけ元気になれるかも。



「元気は伝染する。ピンクネクタイは元気をちょっとだけ伝染する。」



ちなみに暑い夏には水色ネクタイです。

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営業部山本でした。

へい!らっしゃい!

営業部の いつも陽気な 山本です。



先日、枚方にあるお取引先の酒屋さん「ワカバヤシ」さんに行ってきました。去年から商店街を活性化しようと商店会で定期的にイベントを行っているそうです。



つい先日もイベントを開催したそうです。



イベントの開催中は、普段よりも店前を通るお客様の数も多く、店前に机を出して、まるで八百屋さんや魚屋さんの様にお店の前を通るお客様に呼び掛けたそうです。



店主の若林さんは言います。

「普段からお店の前を通る方はいます。
その方々の中には、うちを気に掛けてくれている人もいると思います。
しかし、お店に入ってもらうまでには、いってない。
店頭でのお客様へのお声がけは、そういったお客様がもう一歩を踏み込んでくれれるきっかけを作ってくれる。
スーパーでも売りたい商品には、試食を出し、販売員をつけて、お声がけをしている。
店頭でのお声がけは、商売の基本。
今回のイベントを通じてそれを今までサボっていた事に気付かされました。」



店頭でのお声がけ。



僕も芸人時代にアルバイトしていたカラオケや居酒屋で、店頭でのお声がけをめちゃめちゃしていました。


そして好きでした。



顧客を増やす事は商売の基本。しかし、顧客になってもらう為には、まずお店を知り、来てもらう事がスタートです。



店頭でのお声がけは商売の基本。



声をかけられた方も、その日は商売につながらなかったとしても、覚えてくれるかもしれません。



そして後日に来てくれるかもしれません。



常に基本に立ち返り、反省と改善をする若林さん。素敵です。




もしかすると店頭でのお声がけは、商品を勧めるというよりも、活気や元気を店頭を通る方々に配っている作業なのかもしれませんね。



1e9eb10d.jpg若林さんと



営業部山本でした。

山本、売れない芸人時代を語る

営業部の 元お笑い芸人 山本です。



過去の経験は無駄なものは一切ないと思っています。


今日は、今の僕の血となり肉となっている売れない芸人時代に経験した事をお話させて頂きます。



かなり熱く語っている為、かなりの長文になっています。



御手洗いを済ませてからお読み下さい。







今、僕は35歳ですが、29歳までお笑い芸人をしていました。(コンビ名は「5・7・5」芸名は「ちゃぁぼ」)



当時、舞台上での経験値を積む為に自主ライブをしていました。


ライブの名前は「SIMPLE」

若手4組で、ネタとトークのまさにシンプルなライブ。客席のキャパが30人くらいの三軒茶屋のライブハウスで月1回行われていました。



僕らは全然知名度がなく、そのライブに来るお客さんは毎回なんと3人くらい....。


演者は8人なんでお客さんより舞台上の演者の方が多いんです。



毎回そんな状況じゃ、さすがにライブとしては成立しない。
ライブ自体をやめる話も出始めました。


しかし僕らは

「今出来る事をとにかく何かしよう」


と考えました。そして渋谷のセンター街でチケット売り(略してチケ売り)を始める事にしました。




先陣を切って僕と一緒にチケ売りをしていたのは、ライブメンバーでペ・ヨンジュンのものまねをする「ぺよん潤」(今も現役で活躍中)事、増井さんでした。



チケ売りは通りかかる女子高生や若い女性に声をかけ(2、3人のグループが望ましい)、増井さんと二人で自分達のコンビやライブをアピールするんです。



だいたい20組の女子高生らに声をかけたら3組位は、立ち止まって話を聞いてくれましたね。
で、立ち止まって話を聞いてくれた3組のうちチケットを買ってくれる所までいけるのが1組って感じですね。
声をかけ、チケットを買ってくれるまでの時間は最低1時間はかかりました。

それをライブ1週間前から前日まで出来る限りしたわけです。



で、ライブ当日、いつもは3人だったお客さんが、なんと...





『30人!』

10倍の数!




ライブハウスぱんぱんで立ち見も出てました!


演者も最高にテンションが上がり、チケ売りを毎回する事になりました。




そのうち毎回来てくれる子も出始め、20人以上の数をキープ出来る様になり、2ヶ月後ライブの場所をもっと広い所に移しました。


広い場所になったらなったで30人でもお客さんが少なく感じるので、チケット売りもより頑張らなくてはいけません。


チケ売りは引き続き行いました。


売れてない芸人と言えど、ライブやオーディション、たまにテレビの仕事もありましたから、チケ売りばかりをしている訳にはいかないのですが、なんとか時間を作り、チケ売りを続けました。



その甲斐あって、徐々にお客さんがお客さんを呼び、50人、70人と来てくれるお客さんが増え始めました。スタッフも最初は一人だけでしたが、ひとりふたりと増え、5人くらいになりました。



そうなってくると「月1しかライブをしないのはもったいない」と、ライブをもうひとつ立ち上げる事にならました。

ライブ名は「SAMPLE」


「SIMPLE」はネタとトークのライブでしたので、「SAMPLE」はネタと企画のライブ(色んな企画を試す意味でサンプル)にしました。



ドンドン「SIMPLE」「SAMPLE」に思いが入って来たメンバーでしたが、終わりは急にやってきました。



4組の芸人のうち僕らと、もう1組のコンビは当時ケイダッシュステージという事務所でしたが、後の2組は別の事務所でした。



そこで事務所のマネージャーから
「自主ライブをするならケイダッシュの芸人だけでしろ」
との指示がきたのです。


突然の終わりにメンバーも愕然。しかし事務所の意向には逆らえず、「終わるなら華々しく終わろう」という事になりました。



最終回のライブ名を「SIMPLE×SAMPLE×FINAL」とし、いつもより1時間長い3時間のライブにしました。

いつもの企画に加え、オープニング映像とエンディング映像を制作し、4組の合同ダンスコントを作り、中MCにゲストを呼びと盛りだくさんのライブになりました。


そして何より来てくれたお客さんの数がなんと....




『150人!』

3人の頃からみると50倍!




もうひとつ付け加えるなら
3人のお客さんの頃からチケ売りを始めて、最終回を迎えた期間は、たったの半年なんです。



半年でお客さんの数が50倍になったんです。




ライブ終わりはメンバーもスタッフも号泣。



この「SIMPLE×SAMPLE×FINAL」のライブは映像に撮ってあったので、編集してもらいDVDに焼き、今でも僕の宝物になっています。




あの時ライブを辞める選択もありました。

しかし、出来る事から始めれば何かが変わる。
動けば何かが得られる。



とても貴重な体験が出来たし、その体験が今の仕事の原動にもなっています。




ちなみにこの後、ケイダッシュの芸人の僕らともう1組の2組に加え、新たに同じ事務所のメンバー1組が入り、3組で「ケルミナ」というライブを立ち上げました。




その新たに加わった1組というのが、今をときめく「オードリー」です。



長文にお付き合い頂きありがとうございました。

営業部山本でした。


ブログ毎日書いてます

営業部の 晴れ時々 山本です。



僕が、大阪に出てきたのは23歳の時でした。



今から13年前です。



当時、何気なく大好きな映画の「フォレストガンプ」を見ていました。



その映画を見終わった時です。



あの映画にアメリカを走って横断するシーンが出てくるのですが、それに触発されて、「走ろう」と思いました。



時間は朝の5時でした。



財布も携帯も何も持たずに走りはじめました。



当時、西成に住んでいたのですが、そこから南へ走り続けて行きました。



小さな目標を見つけながら。



あの電柱まで走ろう。




あの高架下まで走ろう。




あの自販機まで走ろう。



そんな感じで小さな目標をクリアし続けて1時間半走りました。




気付けば高石市にいました。



小さな目標をクリアしていたら、結構な所までたどり着いていたのです。



このブログを書き始め、1ヶ月が経ちました。



「毎日書く」という小さな自分ルールを決めて、書いています。



まずは1ヶ月クリアです。



1年続けたら自分にご褒美をあげたいです。



「小さな目標をクリアし続ける。」


毎日、それを繰り返していたら、気付いた時に大きな目標にたどり着いていた。



そうなれたら最高にいいですね。








ちなみに1時間半走って高石市にたどり着いていた僕は、財布も携帯も持ってない事に愕然としながら、歩いて帰りました。




4時間半かけて......。

その日の山本の走行距離、往復で30kmでした......。


営業部山本でした。

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